【過去記事】

自分語りの気持ちよさ【鬱屈精神科医、占いにすがる】

鬱屈精神科医、占いにすがる

私は 占いが好きです。
ポストに投函される 無料のミニコミ誌の占いコーナーだけは
必ずチェックするし 毎月1日に更新される星座占いのために
お気に入りに入れているページがいくつもあります。

ひょんなことから この本のことを知り 図書館で予約をかけてみました。
2015年の年末に発行。発売されてから少し時間が経っていますね。

占いのセッションを受けるために 1時間以上電車に乗り
足繁く通っていたころもあるし 
今でも 年に何回かは占いを受けることがある。
そんな 占い好きの私に この題名が響きました。
しかも どことなく自虐的な感じがしませんか?
(「すがる」あたりが。 )

お医者様なら ものごとを理論的に考えられるでしょうし
精神科の先生だったら 自身の状態を精神的な面からも
客観的に観察、判断できそうな気がします。
それでも「すがる」ことをせずにいられないのは
何事?!と 興味を惹かれました。

職場で読んでいて ニヤニヤ

読み始めてみると 60代に差し掛かって
どうも鬱屈したものが覆いかかっているような心持で
これまでも そんなに晴れ晴れとした感じで生きてきたわけではなかったけれど
この状況を説明してほしい。同業者に罹るのは 避けたい
ということで 占いを頼ることにした というのが発端のようです。


ただ  世間体などもよくわかっていらして
世間一般でいう占いの印象も文中に書かれています。

  わざわざ占いなんて怪しげな場所に足を運ぶことで、自分の迷いを
鼻の先で笑ってやりたい気分はある。胡散臭いものに身を委ねて、
自虐的な気分を味わいたくもある。そして、ひょっとしたら常識や
理性を越えた何かに出会えるかもしれないと期待する気持ちもある。
ウィークデイの真昼間から占い師のところへ行くのには、微妙な
うしろめたさや気恥ずかしさが伴って、これはちょっとした妙味である。
とはいうものの私はシリアスだ。

「」鬱屈精神科医、占いにすがる」

「胡散臭いもの」とか「自虐的な」とは ずいぶんな言われようですが
占い好きの私にも 思い当たることがあって 笑わずにはいられないのです。
ただ 職場でお昼休憩中に読んでいたので 声を出して笑うわけにもいかず
ハンカチで口を押えて ニヤニヤしていました。怪しい人ですね( ´艸`)

他にも 占いが好きな人なら 思い当たる記述がこちら

それはそれでいいとして、せっかくだから手品でも見せる
ようにして当方を感心させてもらいたい。「すごい、当たってる!」
「なぜそんなことまで分かるの?」と感嘆してみたい。つまり 
占いにおけるカウンセリング的な側面とは別な(おそらく
エンタメ的な)ところを、堪能してみたいのだ。いや、
できればエンタメなどではなく「世界を理解し運命を解き明かす
方法」がちゃんと実在することを、この目で確かめたいのだ。

「鬱屈精神科医、占いにすがる」

お昼休み中なので 机をたたいて「そうそう!」と言うわけにもいかず
また ニヤニヤとして首を縦にブンブンと振っていたのだが
これも 占い好きとしては 「よくわかるぅ」気持でありました。

私個人としては 占いをしてもらうことによって 今目の前で起きている
ことに繋がりを見出し 俯瞰する視点を持つことによって 自身が安心し
落ち着きを取り戻したかった心持が強かったです。それを 神秘的で
自分には理解できないけど なんとなく惹かれる 占いという道具を使って
解き明かしてほしいと切に願っていた節があります。

占いに行っても 考え方が少し変わるだけで 目の前のことに
対処するのは自分自身であることに変わりがありません。
でも なぜかそれだけなのに  時間をおいてみてみると
占いに行ったことがきっかけになって  流れが
変わったような気がするんです。怪しいかしら?
でも そう感じる方が 少なからずいるからこそ 占いが
廃れずに職業として残っているのかもしれない、なんて
個人的には思っています(^^)。

この本で印象的なのは 著者の自分語り 

著者が占いに行って その様子を語る場面ももちろんあるのですが
この本の記述の大部分を占めるのは 著者のエピソードです。
占いに行こうと思った動機から 占い師とのやり取りから
細部の場面を切り取って 思い出したことを細密に綴っていく
そこに本の大部分が占められています。

もちろん 読んでいて面白いのですが
(ただ 後半になってずいぶんと読み飛ばしました💦)
ここまで 一人の人の記憶というものは膨大なのかと 
果てしないような気分になったのが正直な感想であります。
しかも 当たり前だが これは著者の全てではなく 今回の
「占いに行く」というテーマに関して 著者が引き出してきた
事柄のみのはずで。

もちろん、人類の全てが彼のように 体験したことを覚えているわけではなく
ひとつひとつの体験を 丁寧に結び付けて思い返すわけではないというのは
わかっています。ただ それでも 人の営みとして こういった膨大な量の
情報を処理して書き表すことが できることに思いを馳せずにはいられなかったのでした。

もちろん著者はいくつもの著作もあるし 実績もあるし
商品価値のある本をかける人物だから ここまで書き表すことが
許されたというのは あると思います。


それでも 占いという一つのテーマでこれだけ自分のことを語れて
羨ましいような そんな気分に私はなりました。周囲の人に占いに行って
そのあと 思いめぐらしたことまで語るのは難しい。実際に起きたこと
ばかりでなく 自身の思い出や感じたことも含まれていて とても曖昧な
領域です。 ひとつひとつ説明していくのには 私の人格が疑われる可能性
も否めないし 幼いころからの 細かな振り返りも含めると とても膨大な
量になります。

私は 本を読みながら ひとつひとつのエピソードを綿密に語る
著者が羨ましく思いました。と 同時に 私がブログを書こうと思った
動機について 思い出したのでした。私が満足するまで自分のことを語るのを
聞いてくれそうな人は周りには存在しない。だったら ネットで書こう。
ブログだったら 読みたくない人は 途中でも切り上げて去ってくれる。
読み手を縛ることなく 読んでもらえる可能性があるかもしれないのです。

それを 職場や家庭内など周囲の人間関係のなかで充足させようとすると
なかなか面倒なことになりそう。自分自身の身の安全や
誤解なく伝えられるかという技量ももちろん、時間や場所の制限もある。
もちろん、ブログを書こうと思ったのは それだけではないのだけれども
 そういう思いがあったことを思い出しました。
この本のおかげだと思います(^^)。

たまには 読書もいいものですね☆

私は 生きているうちにこの著者に会うことはたぶんないと思うんです。
でも 本を読むことで 占いに行く心理に共感したり
思いついたエピソードを次々と語り 自分の内を表現することを
厭わない姿勢に刺激を受けたりしました。

読書という形ですが  結構な刺激を受けました。
ネットでも いろいろな人と情報との出会いはあるけれど
こうして ある程度の量があり 時間をかけて浸ることができるのは
読書ならではという感じがします。

文字を読むのが結構苦手で 感想を書くのも腰が重いけれど
それさえ厭わなければ まだまだ有益な出会いがあるのかもしれない。
図書館でも利用して いろいろな方の本に出会う時間を
作っていこうと思います☆

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